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四日目;本について [うつ_鬱病のきっかけ]

昨日も信頼する人から携帯メールを貰えました
「痛みに声がでない
 夜になると熱があがり激痛になる
 今夜はどうだろう・・・」
とてもつらそう
できるのなら私がその痛みを変わって受けたい
私が罰を受けるべきなのに
早く痛みが和らぎますように
早く熱が下がりますように

先日は映画を受け付けなくなったことを書きましたが
今日は本についてちょっと書いてみたいと思います

鬱病と診断されてから
何冊も鬱病関連の本を読みました
自叙伝などや 簡単な精神学本などは
感情の起伏無く読めました
ただ「ストレスをためないために」のようなハウツー本は
ほとんどダメでした
同様に自己啓発本は完全にダメ

これには理由があります
別れた彼が付き合った女性が
彼と一緒に制作に取りかかった絵本を出版しています
大人向けの自己啓発的なコメントに合わせて
キャラクター絵本となっているものです

昨年の秋
彼女からメールが来て
「この絵本は自分のためにも書いたけれど
 あなたのためにも書いたの
 よかったら読んでみてね」
と書いてありました

彼女のものなんて・・・
しかも彼と一緒に作ったものなんて
見たくもないと思いました
けれど
キャラクターや絵本に憎しみを持ってはいけない
この絵本は何も悪くないんだと思い込ませ
勇気を出して 本屋へ行って探し出し なんとか立ち読みしたのでした

主人公が自分探しの旅をする絵本でした
 自分は何者?
 もしかしたら◯◯かもしれない
 よし変身してみよう
 あ、でもちがうかも
 これは無理があるかも
 じゃああれはどうだろう・・・

そうして次々チャレンジしては違うと感じ
自分らしさを見つけ出すためにあれこれ悩むというマンガ
その横には
自分らしさを見つける為にはこうしましょう、
ポジティブに前向きに自分を目指すところへ気持ちを持って行こう
という自己啓発的なコメントが 処かしこに絵に付いているのです

五木寛之さんがおっしゃっていたことだったと思いますが
 自分探しをしても意味が無い
 自分らしさとはいまの自分自身
 探して見つけ出すものではない
 自分そのものなのだから

私も五木さんの考え方に賛成です
だからどうしてもこの絵本には拒絶感が出てしまい
立ち読みが限界でした
その日は鬱鬱になって帰ってきました
その後も何度か絵本を見るように試したけれど
その場で鬱に陥ってしまい
私には受け入れられない絵本になってしまいました

以前 私のブログにコメントを下さったchobin1029さんのブログ
障害者のシステムエンジニアの日記
のリンク集に入っている
整形外科医の診察室・ブログ
の中で 海原純子先生(心療内科医)のエッセイが載せられていました

 いま,日本社会を見ていてものすごく危険だなあと思うことがあります.
 それは心の葛藤状態に真正面から向き合わずに,表面的に「明るく生きよう」
 「リラックスすることが大切」などという,
 単なるストレス解消や紛らわしに過ぎないような言葉があふれているのです.
 それでいて自分の悩みの根っこに向き合おうとしていない.
 そんな人が日本社会に多くなっているように見えます.

おっしゃっていることがとてもよく分かります
様々な自己啓発本は 意識の持ち方・捉え方を変えてみると こんなにも良くなる
と言いたいのでしょうが
私にとっては 表面的なものに感じられます

こんな私ですが
唯一受け入れられた本がありました
人はどうして死にたがるのか
(下園壮太氏/著)

読んでいて涙をポロポロ流しました
まるで自分の苦しみが言葉になっているようでした
読んだ当初は自分の気持ちをうまく言葉に出来なくて
信頼する人に話している時も
心療内科の診察の時も
泣くばかりで何も話せませんでした
そんな時にこの本は私の気持ちを代弁しているようでした
私の気持ちを代弁している箇所に
いっぱいマーカーを引きました

五日目(もう今日か・・・また今夜も寝られなかった)は
家で独りなので この本をまた読み返したいと思います
残念ながら母は日帰りで帰って来てしまいます
単身赴任先の父の所には泊まらずに帰ってくるそうです
たぶん私を心配してだと思います

自殺をもくろむ私の計画はおあずけになってしまいました・・・


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