母との思い出 [うつ_家族]
先日、ヘルパーさんと話している時
亡き母の話になって思い出したことがありました
父の会社が倒産し、会社員になりたくなかった父は
トラックの運転手になりました
毎年、母が頑張って青色申告を泣く泣く作成していました
そして母は終わったご褒美にデパートで気に入ったものを買ってきました
ある時、日本人デザイナーの冠婚葬祭用の皮の黒バッグを買ってきて
私はそれを見て「ダサっ、返してきなよ」と言いました
冷たい娘だったなあと思います
ヘルパーさんが言うには、その頃はデザイナーズバッグが流行っていたそうです
母の好きにしてあげれば良かった
可哀想なことをしました
母はそういう冷たい私を嫌っていたと思います
一番近い家族だから頼ってくれていましたが
喧嘩をすると私のことを「化け物」と言って怒鳴っていました
でも私に言わせれば「ごめんなさい」「ありがとう」を
絶対に言わない母が嫌だった
あ、落ち込んできた
良い思い出も沢山ある
お母さん、ごめんね
そして、ありがとう
明日は母の誕生日、大好きな甘いものを用意するね
亡き母の話になって思い出したことがありました
父の会社が倒産し、会社員になりたくなかった父は
トラックの運転手になりました
毎年、母が頑張って青色申告を泣く泣く作成していました
そして母は終わったご褒美にデパートで気に入ったものを買ってきました
ある時、日本人デザイナーの冠婚葬祭用の皮の黒バッグを買ってきて
私はそれを見て「ダサっ、返してきなよ」と言いました
冷たい娘だったなあと思います
ヘルパーさんが言うには、その頃はデザイナーズバッグが流行っていたそうです
母の好きにしてあげれば良かった
可哀想なことをしました
母はそういう冷たい私を嫌っていたと思います
一番近い家族だから頼ってくれていましたが
喧嘩をすると私のことを「化け物」と言って怒鳴っていました
でも私に言わせれば「ごめんなさい」「ありがとう」を
絶対に言わない母が嫌だった
あ、落ち込んできた
良い思い出も沢山ある
お母さん、ごめんね
そして、ありがとう
明日は母の誕生日、大好きな甘いものを用意するね