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父との思い出 [うつ_家族]

母のことを前記事で書いたので
平等に父のことも書きたいと思います

父はハンサムでクールで
会社に勤めていた時もスタッフみんなに好かれていました

私が子供の頃、お中元やお歳暮を山のように貰っていました
私はフルーツの缶詰が好きで、よく貰っていました

父は外面がよく、けれど家族には厳しい人でした
ご飯をきちんと食べないと頭を思いっきり殴りました
怖くて言い訳は言えませんでした

父が会社から帰ってくると
テレビ権は父のもの
ニュースや野球を見るので
子供達には不評でしたが我慢しました

ちなみに私が音楽番組を見始めたのは
中学に入ってからです
小学時代は林間学校や修学旅行ではみんなと一緒に
歌謡曲を歌えませんでした

その話を父にしたら
音楽番組を見させてくれるようになったのです

いわゆる亭主関白
兄がベビーの頃に夜泣きをすると
うるさくて寝られないと怒鳴るので
母は夜中、兄を抱っこして外で過ごしたそうです

また
会社から帰ってきた時に
夕食にありつけないと怒ったそうです
共働きの母はそれは大変だったそうです


でも運動会や文化祭や発表会とかがあると
仕事の合間をぬって見にきてくれて
帰りに美味しいものを食べさせてくれました

私はその時テーブルマナーを覚えました

私だけ特別に連れて行ってくれていたのかと思ったら
先日、兄がポロッと、自分も連れて行ってくれていたと
教えてくれました

機嫌がいい時は優しい父でした

晩年は性格が丸くなり
怒る事もなくなりましたが
母には厳しかったように思います

母が鬱病で家事をするのが困難になる寸前
冷奴にかつおぶしと醤油をかけて出した時
母はカットしないで一丁丸ごと出したのです
(そんな出し方は初めてでした)
父は猛烈に怒って
こんなもの食べれるか!と母を叱りました

母はもう料理ができないと泣いてしまいました

その頃から母のうつ病の状態が酷くなりました
毎週一回の心療内科も父が付き添ってくれるようになり
入院時も一緒に面会に行ってくれました

自分が病気になっても母のことを心配していました
母が電気療法を受ける時
父は脳梗塞で倒れました
幸い後遺症はなかったのですが2週間、検査入院をしました
自分が入院しているのに、母のことを深く心配していました

私は母の面会に行った後、父の面会にも行きました
私はもうすでにうつ病と診断されていたのですが
二人とも面会に行きたくて
かなり無理をしました

父が退院して母が退院して
通院生活になった時も
母と手を繋いで通院していました
微笑ましい光景でした

怖かった父
優しかった父
どんな父も大好きです










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